東洋文明

東洋文明の記事一覧

東洋文明

縄文時代と弥生時代は、日本列島の古代史の中でも、食料の得方が暮らし全体を分けた転換点です。縄文は紀元前13,000年頃から約1万年以上、狩猟・採集・漁労で自然の恵みを多種少量に受け取り、弥生は約3000年前に伝わった水稲耕作で米を安定して蓄える社会へ変わりました。

東洋文明

三星堆遺跡は、中国四川省広漢市にある古蜀王国の都城跡で、殷王朝とほぼ同時代に黄河文明とは異なる青銅文明を築いた遺跡です。河南省の殷墟で中原の青銅礼器を見たあとに三星堆博物館の縦目仮面に向き合うと、同じ「青銅器」という言葉では括れない造形思想の断絶がはっきり見えてきます。

東洋文明

アンコール・ワットとは、12世紀前半にクメール王スーリヤヴァルマン2世が築いた、ヴィシュヌ神を祀る国家寺院である。単独の建物ではなく、最盛期に約75万人が暮らした巨大都市アンコールの中核として造られ、約160ヘクタールの境内は単一の宗教建造物として世界最大級の規模を示す。

東洋文明

シルクロードは、ユーラシア大陸を東西に結んだ一本の道ではなく、砂漠のオアシスを縫う路、草原を抜ける路、海を渡る路が束になった交易路の総称である。19世紀後半に地理学者が名づけたこの言葉は新しいが、その往来は紀元前2世紀ごろから15世紀ごろまで約1500年にわたって続き、

東洋文明

四大文明の一つとして名前はよく知られていても、インダス文明は「何が確かで、どこからが未解決なのか」が最も見えにくい文明です。成熟期は紀元前2600年〜前1900年、分布域は約68万km2、東西約1500km・南北約1800kmに広がり、その中でモヘンジョダロは人口約3万〜4万人を抱えた最大級の都市として、

東洋文明

筆者の見学体験としては、甲骨や青銅器の展示を通して、その背後に長い新石器文化の系譜が感じられました。この印象から、中国文明を黄河のみの起源と見るのは不十分だと考えています。

東洋文明

安陽の殷墟遺跡公園を歩くと、東西約6km・南北約4kmという数字が机上の情報ではなく、王都ひとつが地表に広がっている感覚として迫ってきます。ここは商(後世には殷とも呼ばれる)王朝後期の都であり、文字資料の甲骨文、宮殿・宗廟・王陵の遺構、さらに婦好墓のような個別墓が同じサイトで噛み合う、

東洋文明

始皇帝は、暴君か英雄かという二択で語ると輪郭がぼやけます。中国統一を成し遂げた人物であると同時に、郡県制や文字・貨幣・度量衡の標準化で「広すぎる国をどう動かすか」に答えを出し、その延長線上に陵墓、兵馬俑、不老不死への執着、そして急速な崩壊までがつながっています。