古代ローマ

古代ローマの記事一覧

最新記事

古代ローマ

半日かけて歩いても、ポンペイはまだ見切れませんでした。都市全体は約66ha、公開範囲だけでも約44haに及び、石畳に刻まれた轍や不規則な段差を踏むたびに、ここが「火山で消えた遺跡」ではなく、人が働き、食べ、入浴し、芝居を見て暮らした生活都市だったことが足裏から伝わってきます。

古代ローマ

カラカラ浴場のフリギダリウムに当たる大空間へ入ると、足音と話し声が高い天井へ吸い上げられてから遅れて返り、そこに立つ人間の身体が急に小さく見えました。テルマエ(thermae)は、そんな巨大さで人を圧する入浴施設である以上に、水道・暖房・建築技術、皇帝の統治、

古代ローマ

夕暮れまでに29〜32kmを歩き切った兵たちが、堀を掘り、土塁を築き、柵で四角い陣営を閉じて夜を迎える。翌朝、合図とともにピルムが一斉に飛び、スクトゥムを突き合わせた隊列が前へ圧し出し、最後はグラディウスで決着をつける――ローマ軍団の強さは、この一連の動きが途切れずつながるところにありました。

古代ローマ

コロッセオの観客席に立つと、いまは石だけが残る空間なのに、約5万人規模の歓声が地鳴りのように押し寄せる場面を思わずにはいられません(参照: Britannica 'Gladiator' https://www.britannica.com/topic/gladiator;Parco Archeologic

古代ローマ

パクス・ロマーナ(Pax Romana)は、一般にアウグストゥスが体制を固めた前27年から、マルクス・アウレリウスが没する180年までを指し、その前提には前31年のアクティウムの海戦でオクタウィアヌスが勝って内戦を終わらせた転換があり、終点には死後の不安定化があります。

古代ローマ

ローマ帝国は476年に突然消えた――そんな覚え方では、この巨大な帝国がなぜ揺らいだのかを見失います。西ローマ帝国の終わりはたしかに476年が目印ですが、実態は3世紀の危機から続く政治不安、財政の傷み、軍の仕組みの変化、移動集団の流入、そして環境要因が折り重なった長い変化の帰結でした。

古代ローマ

観客席の上段から楕円のアリーナを見下ろすと、約5万人級の人波を受け止めた建物の呼吸がまだ残っているように感じます。足もとの床下に目を落とすと、格子の向こうに暗い地下空間がのぞき、そこから獣や舞台装置がせり上がってきた光景まで想像できました。

古代ローマ

ローマ中心部のラルゴ・ディ・トッレ・アルジェンティーナの遺構に立つと、カエサル暗殺は神話の舞台ではなく、都市の日常のすぐ隣で起きた政治事件だったと腑に落ちます。よく知られた「ブルータス、お前もか」はシェイクスピアによって広まった台詞で、古代史料だけでは断定できません。