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ローマ軍団の装備と戦術|最強の理由
夕暮れまでに29〜32kmを歩き切った兵たちが、堀を掘り、土塁を築き、柵で四角い陣営を閉じて夜を迎える。翌朝、合図とともにピルムが一斉に飛び、スクトゥムを突き合わせた隊列が前へ圧し出し、最後はグラディウスで決着をつける――ローマ軍団の強さは、この一連の動きが途切れずつながるところにありました。
グラディエーターの真実|生活・訓練・食事・戦い方
コロッセオの観客席に立つと、いまは石だけが残る空間なのに、約5万人規模の歓声が地鳴りのように押し寄せる場面を思わずにはいられません(参照: Britannica 'Gladiator' https://www.britannica.com/topic/gladiator;Parco Archeologic
パクス・ロマーナとは|ローマの平和200年の実態
パクス・ロマーナ(Pax Romana)は、一般にアウグストゥスが体制を固めた前27年から、マルクス・アウレリウスが没する180年までを指し、その前提には前31年のアクティウムの海戦でオクタウィアヌスが勝って内戦を終わらせた転換があり、終点には死後の不安定化があります。
ローマ帝国はなぜ滅亡した?因果で読む5つの原因
ローマ帝国は476年に突然消えた――そんな覚え方では、この巨大な帝国がなぜ揺らいだのかを見失います。西ローマ帝国の終わりはたしかに476年が目印ですが、実態は3世紀の危機から続く政治不安、財政の傷み、軍の仕組みの変化、移動集団の流入、そして環境要因が折り重なった長い変化の帰結でした。
世界の古代文明一覧|四大文明から新大陸まで
文明史を通して眺めるとき、四大文明だけで世界の全体像をつかむのは少し足りません。この記事ではメソポタミアエジプトインダス中国に、マヤアステカインカ、さらにオルメカとチャビンまで加え、文明名一覧・地図・年表の見取り図を先に置いたうえで、地域、年代、文字、都市、
インダス文明の謎|モヘンジョダロと未解読文字
四大文明の一つとして名前はよく知られていても、インダス文明は「何が確かで、どこからが未解決なのか」が最も見えにくい文明です。成熟期は紀元前2600年〜前1900年、分布域は約68万km2、東西約1500km・南北約1800kmに広がり、その中でモヘンジョダロは人口約3万〜4万人を抱えた最大級の都市として、
黄河文明と長江文明の違い|中国文明の二つの起源
筆者の見学体験としては、甲骨や青銅器の展示を通して、その背後に長い新石器文化の系譜が感じられました。この印象から、中国文明を黄河のみの起源と見るのは不十分だと考えています。
マヤ文明の崩壊は突然か|都市放棄の真相
中央マヤ低地のLiDAR分布図を初めて見たとき、約9万5000平方キロメートルに950万〜1600万人という推計が重なり、筆者は「崩壊」を人口の薄い森の物語としてはもう読めなくなりました。
インカ帝国とマチュピチュ|成立・統治・滅亡
アンデスの山岳地帯に生まれたインカ帝国は、1438年ごろのパチャクテク以後にタワンティン・スウユとして急拡大し、1533年に中枢が崩れ、残存勢力も1572年に終わります。
アステカ 太陽の石と生贄|宇宙観と国家運営
メキシコ国立人類学博物館で、直径約3.6m、重さ約24tの太陽の石を見上げたとき、筆者がまず感じたのは、これを“手帳の暦”のように呼ぶのは無理があるということでした。あの石は日付をめくる道具ではなく、宇宙がどう循環し、時間がどう危機を迎え、王権がその秩序をどう支えるのかを刻んだ記念碑です。
ナスカの地上絵|最新研究で読む誰・なぜ・方法
地図アプリでLines and Geoglyphs of Nasca and Palpaの保護範囲約450km2を都道府県境に重ねてみると、地上から全体像をつかみにくい理由がまず腑に落ちます。
殷墟と甲骨文字|商王朝が実在と判明した理由
安陽の殷墟遺跡公園を歩くと、東西約6km・南北約4kmという数字が机上の情報ではなく、王都ひとつが地表に広がっている感覚として迫ってきます。ここは商(後世には殷とも呼ばれる)王朝後期の都であり、文字資料の甲骨文、宮殿・宗廟・王陵の遺構、さらに婦好墓のような個別墓が同じサイトで噛み合う、