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古代ギリシャ

トロイア戦争は、神話としてはあまりに有名なのに、史実として語ろうとすると急に足元が揺れます。筆者自身、大学院でイーリアスの原文を講読したとき、あれほど知られた木馬が本編には出てこないと本文で確かめ、遺跡調査では層位の読み違いひとつで結論が変わる現場感覚を学びました。

古代ギリシャ

アレクサンドリアの港を思い浮かべると、筆者の耳にはまず、荷をさばく人びとのギリシア語の呼び声、岸辺で重なるエジプト語の祈り、フェニキア商人の取引の声がいっせいに届きます。

古代ローマ

ローマ帝国の歴史は、前753年の建国をそのまま史実として受け取ったり、313年をキリスト教の国教化と混同したり、476年でローマそのものが終わったと思い込んだりすると、骨格が見えにくくなります。

古代ローマ

半日かけて歩いても、ポンペイはまだ見切れませんでした。都市全体は約66ha、公開範囲だけでも約44haに及び、石畳に刻まれた轍や不規則な段差を踏むたびに、ここが「火山で消えた遺跡」ではなく、人が働き、食べ、入浴し、芝居を見て暮らした生活都市だったことが足裏から伝わってきます。

古代ローマ

カラカラ浴場のフリギダリウムに当たる大空間へ入ると、足音と話し声が高い天井へ吸い上げられてから遅れて返り、そこに立つ人間の身体が急に小さく見えました。テルマエ(thermae)は、そんな巨大さで人を圧する入浴施設である以上に、水道・暖房・建築技術、皇帝の統治、

古代ローマ

夕暮れまでに29〜32kmを歩き切った兵たちが、堀を掘り、土塁を築き、柵で四角い陣営を閉じて夜を迎える。翌朝、合図とともにピルムが一斉に飛び、スクトゥムを突き合わせた隊列が前へ圧し出し、最後はグラディウスで決着をつける――ローマ軍団の強さは、この一連の動きが途切れずつながるところにありました。

古代ローマ

コロッセオの観客席に立つと、いまは石だけが残る空間なのに、約5万人規模の歓声が地鳴りのように押し寄せる場面を思わずにはいられません(参照: Britannica 'Gladiator' https://www.britannica.com/topic/gladiator;Parco Archeologic

古代ローマ

パクス・ロマーナ(Pax Romana)は、一般にアウグストゥスが体制を固めた前27年から、マルクス・アウレリウスが没する180年までを指し、その前提には前31年のアクティウムの海戦でオクタウィアヌスが勝って内戦を終わらせた転換があり、終点には死後の不安定化があります。

古代ローマ

ローマ帝国は476年に突然消えた――そんな覚え方では、この巨大な帝国がなぜ揺らいだのかを見失います。西ローマ帝国の終わりはたしかに476年が目印ですが、実態は3世紀の危機から続く政治不安、財政の傷み、軍の仕組みの変化、移動集団の流入、そして環境要因が折り重なった長い変化の帰結でした。

古代の謎

文明史を通して眺めるとき、四大文明だけで世界の全体像をつかむのは少し足りません。この記事ではメソポタミアエジプトインダス中国に、マヤアステカインカ、さらにオルメカとチャビンまで加え、文明名一覧・地図・年表の見取り図を先に置いたうえで、地域、年代、文字、都市、

東洋文明

四大文明の一つとして名前はよく知られていても、インダス文明は「何が確かで、どこからが未解決なのか」が最も見えにくい文明です。成熟期は紀元前2600年〜前1900年、分布域は約68万km2、東西約1500km・南北約1800kmに広がり、その中でモヘンジョダロは人口約3万〜4万人を抱えた最大級の都市として、

東洋文明

筆者の見学体験としては、甲骨や青銅器の展示を通して、その背後に長い新石器文化の系譜が感じられました。この印象から、中国文明を黄河のみの起源と見るのは不十分だと考えています。